第0話 南九州に初日の出を求める

 1997年末、我々怪しい軍団は九州へ向かった。

 午前中の社用を終えて名阪を大阪へ向かった広報隊長:河村DRが神戸青木港に付いたのは午後5時過ぎ、団長:金子氏も同じ頃に到着し、マリンエキスプレス・日向線にチェックイン。
 出向までの間、近くのコンビニへ駆け込み食料を入手。年末の混雑、限られた食事施設。フェリーの旅もそれほど優雅なものでもない。相も変わらずのコンビニ弁当とカップラーメン、当然ビールは忘れずに。

 神戸・青木港を10分遅れで出発。神戸の街には年末の明かりが灯る。
「神戸港は華やかですね」
「そりゃーそうですよ」

 本来、神戸・日向間には二等寝台は設定されていない。ところが、年末特別措置でドライバーズルームが開放されていた。一般二等室には家族連れが多かった様で、我々バイクの客は二等料金のみでドライバーズルームへ通された。

 出向したらさっそくフロに繰り出す。空いているうちに入ってしまって早くビールが飲みたい。この船は太平洋を行くには少し小さいようで、モーターボートのようなタテ揺れがある。明日は距離を走らなければならない。早く寝よう。

 日向には20分早く着いたフェリーを降り、XRバハとDRは南へ走る。宮崎でマクドナルドに駆け込み朝メシ。小林からは時間短縮のために高速に乗る。頭上には人吉ループ橋がかかる。明日は通れるか、と未練を残しながら人吉へ。

 林道を走ったら、途中で通行止め。約束の地点まで回り道するには遠すぎる。丸太越えなどして進んでみるが、最後はゲート。戻るに戻れずゲートに近づいてみれば、かぎはかかっておらずゲートは開けられたので、通過。悪いことだが、背に腹は代えられない。
 ここで九州に一歩先に帰省していた特効体調:吉峯氏と合流。彼は昨日までラリーに出ていたため、ちょっとよわよわ状態。日暮れも近づき、3人となった怪しい軍団は宿へ向かった。
 夕食までの間、特効体調を旅館に残して人吉の街を散策。携帯電話の店があると言うことは通じるわけで・・・思い出したようにパソコンを取り出して今日の行程をホームページに送信する広報隊長。

 国民宿舎「くまがわ荘」は人吉温泉の湯を引いている。ここでなんと、いにしえのテレビゲーム、「ギャラクシャン」を発見!さっそく団長のお手並み拝見とまいろう。食事もなかなかよかったですよ。林道も多いこの地域、ツーリングの宿におすすめです。

 明けて2日目・大晦日、朝からくまがわに川霧が立ちこめる。昨日走れなかった人吉ループ橋で写真撮影の場所を探してゆっくりループを走る。矢岳周辺の林道に未練を残しつつも、鹿児島へ向かうためにえびのから高速へ乗る。
 もともと高速道路を走るためのバイクではない250ccオフロード車3台は、あまりペースが上がらないまま鹿児島へ。

さ、桜島が見えん・・・

 鹿児島からはそのまま指宿スカイラインに流れ込む。途中桜島の見えるポイントで写真撮影としゃれ込む・・・のだけど写っていない!デジカメの露出はいいかげんだった。しょうがないので解説いたしますと、本日の桜島はわずかの煙がたなびく程度。

 指宿スカイラインを途中で抜け出す。これはオフロードバイクでしか出来ない芸当だが、これも悪いことです。トレックまがいのコースを走り、林道をぬけて丘の上の見晴台についた。ここは地元の吉峯体調が誰からか聞きつけた場所。
 突き抜けるような青い空、遮る物のない360度の眺望。ここはパラダイスか・・・

 林道を走り終えて帰る途中、知覧特攻平和会館へ立ち寄ってみた。戦時中、神風特攻隊として散っていった人たちと戦闘機の資料館。館内には海底から引き上げた零戦が展示されていたが、さすがにこれは撮影するものではない。

 ここを最後に吉峯体調と別れた金子団長と河村隊長は、高速を走って宮崎へ。
「そばでも食うかね」
「年越しそばですか?」
1997年最後の夕日が沈む・・・

 そしてマリンエキスプレスの人となった二人。日向便とは打って変わった豪華なフェリーはしかし、寝台の長さが短かめで180cm近い人には窮屈かもしれない。
 雑煮を食べながらビールで乾杯。大晦日の晩と言えば紅白歌合戦。ロビーのテレビの前に陣取る怪しい軍団の二人・・・

 初日の出を洋上から拝もう、というのがこの旅の根幹だった。しかし・・・もう10分早く日が昇っていればあるいは見られたのかも知れない。
 最善を尽くした計画も自然には勝てない。だから面白い。計画完遂しなかったから、また怪しい軍団は走り続けるのである。

 文:河村 格 写真:金子錫淑、河村 格


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