三重と滋賀の境には鈴鹿山脈があり、越えられる峠は数少ない。
南の鈴鹿峠は冬でも通れるが、北の鞍掛峠は冬期通行止めになってしまう。間にある石榑峠もそうであった。
中でも一番マイナーなのが石榑峠だが、この峠下に長いトンネルが出来た。
鈴鹿の山は急に立ち上がるのが特徴だ。そのため峠も急になりやすい。
道をつけるにも広くするのは難しく、雪も降るためなかなかに厳しい物だった。
南の方は高速道路も出来たことで便利になったが、北の方はあいかわらず。
状況を打開するには、トンネルを掘ることだ、ということに。
そうなると一番マイナーながら、一番都会に近いルートとして選ばれたのだろうか。
これまでこのあたりから急に道が狭くなっていた国道421号線。
今は立派な2車線道路となっている。
そしてトンネルの入り口へ。
旧道は左手に上がっていくが、2008年に災害で通行止めになって以来そのままになっている。
トンネルは変哲のない2車線道路だが、その距離は4kmを超える。
ゆるやかに滋賀方向へ上っている様だ。
交通量は少ないが、永源寺が紅葉の頃には賑わうことになるだろう。
いままでそれで何度狭い峠道で立ち往生したことか・・・
何なくトンネルを抜けると滋賀県側に出る。
取付道路も新しくなり、快適な2車線が続いていた。
八風峠のところまでトンネルが出たわけだ。
しかし旧道はどうなったんだろう?
茨川への分岐を見つけた。
これを残したということは、茨川林道は走れると言うことか。
一時は第二永源寺ダムのために通れなくなると思っていた茨川林道。
2005年に違法建設の裁定が出て、計画は白紙になった。昨今の電力事情でどうなるかはわからないが、茨川の今は平穏な状態になっていた。
廃村・茨川まで抵抗なく走れたが、川を渡る部分は流されてしまっている。この先もう少し開発するのかとも期待はしていたが・・・
そんな茨川は、かつて治田峠を徒歩で越えていた。
もちろん林道もまだ無い時代のこと。
林道が出来て便利になり、結果的に村が無くなった。昔徒歩で越えた峠は今も登山者が歩くことはあるというが、きわめて状況が悪いという。
国道が出来て車が通うようにはなっても、直接的な経済交流はあったのか。
新しいトンネルが出来たことで往来が増えることは期待できるのか。
かつての国道は通行止めのまま廃道になってしまうだろうか。トンネルのある区間には神社が一つあるのみ。かつて峠にあった通信施設はすでにないという。
通行に難儀したコンクリートのゲートはどうなっているのだろう。
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