馬坂峠で根尾から藤橋へ降りてくる。
いささか唐突に大きな湖が現れた。
ここは、徳山ダムにより作られた人造湖なのである。
水量の多いこのダム、それによるダム湖もとにかく大きい。
湖の中に、道路が入っていくのが見える。
それが、旧徳山村に続いていた道である。
徳山ダムは日本有数のロックフィルダムで、建造物としての美しさもなかなかのもの。
このダムが稼働したのは2008年10月のこと。10年前はまだ工事中だったあたりを見下ろせる。
計画から事業化まで長かった。あと数年遅かったら、今の内閣だったら?完成したのだろうか?
ダムより奥へ行ってみようか。
この先に、旧徳山村がある。
ダムに沈んだ道に変わって、新しい道が作られた。
新時代の道はいちいち山の形状をトレースなどしない。トンネルと橋で直線的につなぐ。
回り道する必要がないのである。住む人がいないのだから。
先へ進むための通過道路、そうなるはずだが。
連休の時期であっても、3キロを越えるこのトンネルに通行する車は疎ら。
駐車帯でエンジンを止めてみても、自分のエンジン音がトンネルの中を伝達されて遠ざかる音のみしかなく、やがて静寂に。
長いトンネルを抜けると、そこで国道は終わっていた。
途切れた国道を補完する冠林道も高阪峠も通行止めが多い。ちょうど出てきた管理の人の話では、物理的には通れるという。ただ建前は全面通行止めなので、と。
以前にも通れる状態のまま通行止めを続けていたこともある。早々に開通させようという気は無い模様だ。
だから、この先の国道が完成する日というのが想像できない。
現時点では、無人地帯に行き先のない立派な道が付いている。それだけになっている。観光、と言うにもダムより上は弱い。
かつての建築業者だろう。建物は健在。まだ何ほども時間は経っていない。
が、今は水資源機構の管理になる。立ち退きの際に保証金を出しているということか。
この家はおそらく無人だろう。
あの家は・・・建てかけに見える様な気もするが。
トンネルや橋の名前が奇妙に感じるのはなぜだろう。
この地の昔を知らない。この地名の意味も。
人の名前に見えるものもあり・・・
新しい国道から脇へそれる道はほとんど閉められているが、開いている箇所がある。
旧徳山村につながっていた道。そして、移動して跡地となった神社。
往時の村を碑に刻んでいる。
ダムに沈むということがデリケートに扱われる様になってきた今。最近の例であるここ徳山は、いろいろな手で思い出として残そうとしている。
この下に、徳山の村が沈んでいる。
水の多い今、その姿を見ることはない。
徳山村の在りし日を写真で残す。
いつか風化する記憶。写真もいつかは・・・
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