其の十一 碓氷峠
上州と信州を分ける峠、碓氷峠は昔から交通の難所でありました。
それだけに道路も鉄道も、何度も作り直されて今に至ります。
そんな碓氷峠の、まずは鉄道編から。
1998年の長野オリンピックを前に、長野まで新幹線が開通しました。
最初から高速運転を考慮した路線に強力な車両を走らせる長野新幹線は、峠を感じさせることもありません。
新幹線が開通したことによって、碓氷峠の交通は変わりました。
もとより大半が特急列車であったため、新幹線化で特急の走らなくなる在来線はその意義も薄くなり、JRから切り離されました。
在来線のうち、軽井沢から篠ノ井までの区間は「しなの鉄道」として第三セクター化されることに。
ところが、軽井沢駅から碓氷峠方向を見ると・・・
線路は剥がされ、繋がらなくなってしまいました。
新幹線開業とともに、碓氷峠は廃線となってしまいました。急な坂道で列車単独では上り下り出来ず、サポートする機関車が必要であったためにコストがかかる。普通列車での往来に意味のない両地域であったということでしょう。特急が無くなった今、機関車を準備して走らせるなどという無駄なコストはかけられないということか。
軽井沢から、旧国道18号線碓氷峠を下っていくと、ところどころに鉄道の跡を見ることが出来ます。
ところが、よく見ると2種類の線路跡があることが判ってきます。
これは、碓氷峠にも2世代あるからです。
かつてアプト式と呼ばれるギヤかみ合い方式を採用していた時代と、車輪だけで粘着運転していた時代があり、それぞれの線路が異なるからです。
旧国道碓氷峠からはそのどちらもが見られ、場所によっては平行しているところもあったりします。廃線から10年程度の新線はいまもレールや架線が残っていて、いまにも列車がやってきそうな佇まいです。
碓氷峠で建造物的に価値があるのは旧線の方で、いくつかの橋が見られますが、煉瓦造りのものがほとんどで時代を感じさせます。
そんな煉瓦造りの橋でももっとも有名なものが碓氷第三橋梁です。
通称めがね橋と呼ばれるこの橋は碓氷峠のシンボルとして、廃線後も人々を引きつけてきました。
橋の上は整備され、遊歩道となっています。
遊歩道はトンネルの中も通れるなどかなり長い区間を歩けるようになっています。
めがね橋の上から遠くの山を眺めると、新線が見える。すでに時代は鉄橋となっていました。
それとても廃線となった今日。歴史的価値では旧線に及ばない新線は整備されることは無いと思えます。このまま朽ちていくのを待つばかりなのでしょうか。
峠の上が軽井沢なら、下は横川。
横川と言えば「おぎのや」の釜飯と相場は決まっていますが、これは碓氷峠用の機関車を連結などする時間にホームでの駅弁立ち売りが元です。
碓氷峠が廃止された今、横川駅はローカル線の終着駅の様になってしまいました。列車の本数も激減し、もちろん特急などもありません。「おぎのや」による立ち売りももうなくなったのでしょうか。
それでも駅前には「おぎのや」の店舗がありますし、ターゲットを列車から車に変えて国道ドライブインや高速道のサービスエリアでおなじみの釜飯を続けています。あるいは列車の頃より売れているのではないかな?
駅前には鉄道資料館があり、碓氷峠を担当した機関車なども展示されています。興味のある方はどうぞ。
道路編については、また次の機会に。
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