世間からは大きく季節の外れた、9月下旬の夏季休暇。

私は3冊の本と共に岩手県に向かった。

その本とは『智恵子抄』、『銀河鉄道の夜』、『遠野物語』。

中学生頃に買った本で、すでに傷んでいたのだが、

最近、古本屋に立ち寄った際に買いなおした。

すでに内容など忘れかかっていたけれども、

その時を境に気になり始めた。何か思うところがあった。

10数年前なら考えもしなかったが、

その舞台に行こうと思った。

偶然か、必然か、この作者3人の共通する場所だった。


早朝から高速道路で花巻まで直行。

片道実に約500km、実走時間は7時間にも及ぶ。

この時期の東北は寒暖の変動が大きいので、冬前の装備。

早朝出発でも到着は夕方押し迫る頃だった。

花巻市外から花巻温泉街へと向かう。

田園と山林の境界に温泉街、その中心地にバラ園がある。

バラ園には『銀河鉄道の夜』の著者、

宮沢賢治の設計による日時計花壇と詩碑がある。

あらゆる方面に知力を発揮した

宮沢賢治の一部を垣間見ることが出来る。


花巻温泉街を離れ、今日の宿泊地へと向かう。

日中あれだけ暑いと思っていたのに、

夕方になると急に冷え込んでくる。

市街を抜けると、辺り一面は広大な田園風景が広がり、

その奥には緩やかな曲線を描く山々を見渡す。

何気ない夕方の光景も

普段よりもより澄み渡るように見えてくる。


花巻市外から約20km程離れた場所に有る鉛温泉。

周囲にはいくつもの温泉街があるけれど、

今回は歴史的にも古い場所を選んだ。

鉛温泉にある宿は「藤三旅館」一軒のみ。

平日の宿泊客はたいていの場合多くは無いが、

隣接する「自炊部」も併せれば、それなりかも。

この温泉の特徴は湯船の深さが肩ほどにもなる

「白猿の湯」である。開業当初からその深さで、

一般的な温泉の印象を遥かに覆している。


同館内には他に4つの温泉があり、

一部を除けばいつでも出入りすることが出来る。

必要以上に時間を気にしなくて良いので、

持ち出した本を読み、ひと息ついでに湯に浸る、

湯上り後にまた引っ張り出して続きを読む。

そしてこの3冊が出来た背景を考えつつ、

自由気ままな時間を過ごす。


夜更けまで読み込んだ日の翌朝。

ちょっと気だるい寝起きを迎えるが、

窓からすうっと涼しい風が入ってきて目覚める。

今朝の気温は僅かに8℃。秋と言うより初冬に近い。

窓から見る景色は、これから紅葉が始まる光景。

宿の脇を流れる川は、凍えそうなほど清らか。

朝食の時間までの間にひと風呂浴びて、

食事もそこそこに身支度を整える。

昨日は遅くてよく判らなかった藤三旅館の全景も

朝の光に良く映えて、その風格を知らしめる。


鉛温泉から再び花巻市外へと向かう。

その途中に有るのが高村山荘。

高村光太郎が過ごした小屋がそのままに保存されている。

その大きさは今で表せば、プレハブ住宅よりも小さい。

この周辺は散策路。

東北のハイキングコースのひとつにもなっている。

小高い丘やその周辺には『智恵子抄』の題に有る

高村光太郎の妻、智恵子の詩碑や泉がある。

『智恵子抄』の風景は、今でも名残を残している。


高村山荘を離れ、市街地を経由し、

早池峰山へ入口、小田越へと向かう。

早池峰山は『智恵子抄』でも『遠野物語』でも

その中に頻繁に出てくる山。

東北有数の高山植物の宝庫としても知られる。

小田越は最も近い山頂への道程。

途中まで登るも、時間に恵まれずに引き返す。


早池峰山に若干の悔いを残して遠野へと向かう。

細い県道を下っていくと、途中から林道に切り替わり、

そこを抜けると、広大な高原の風景が広がった。

その場所とは、荒川高原。

放牧の有刺鉄線と、延々と続く道路以外には、

緑の草原と青い空、

心地よい風が流れるほかに何も無い。


漠然と言うか唖然と言うか。

そんな印象を抱きながら少しづつ高原の道を下っていく。

緩やかな高原のピークを過ぎると、

周囲には放牧された牛や馬が目に付くようになる。

それでも周囲に見えるのはあまりに広い高原。

地元の嬬恋や信州でも高原と言うのは見るけれど、

あきらかにスケールが違う。

今、自分が何処にいるのかさえ判らなくなるような、

有る意味不安にさせさせるほど、鮮烈なものだった。


広い高原の青と緑の印象がまだ覚めやらぬうちに

再び林道を経由して遠野市街地へと向かう。

林道を抜けた先には早池峰神社がある。

昔から有る山岳信仰の対象でも有る早池峰山。

この場所から山頂までの神社(鳥居)の位置は、

山頂に対して直線に並んでいるが、

ここ手前に有る鈴ヶ岳しか見えないから、謎だ。

ちなみに柳田国男の『遠野物語』の冒頭に有る

「早池峰の山は青く霞み山の形は菅笠の如く又片仮名のへの字に似たり」

という下りは、早池峰山ではなく、鈴ヶ岳のことを指す。


遠野市は土地面積辺りの人口比率が少ない。

駅周辺は流石に密集しているものの、その周辺は乏しく、

そこに広がるのは田園と丘陵と山林。

そして「遠野物語」を始めとする民俗学の発展した場所。

現在でもその文中に出てくる場所に行くことができる。

市の中心部からかなり離れた場所に

「デンデラ野」と言う場所が有る。

全国的にも存在の有る、いわゆる「姥捨て山」の類。

各集落にも物語に有る様々な建物や

史跡、石碑などが点在し、その数は相当なものになる。

遠野市の宿泊は「遠野YH」にした。

市内の施設としては最も手軽な場所だろう。

遠野で迎える夜、ペアレント(YHオーナーの事を指す)から

周辺の観光案内を受ける。

その中で気になった高清水展望台に向かう。

気象条件が揃えば、眼下には雲海が広がると言う。

早朝に駆け足で移動してみるが、望めず。

しかし、展望台から見る遠野市は一見の価値は有る。


今日は旅の締めくくり。短期間故に活動量が増える。

遠野YHに程近い「伝承園」に立ち寄る。

この一帯でかつて見られた「曲がり屋」が

移築再現されている。

特徴は人と馬が共に同じ屋根の下にあることであり、

それ程馬が大切な存在としているという表しでも有る。

現在でも馬を飼う人は多く、その家の形も

確かに曲がり屋の形を残している場合が多い。

家のつくりが鍵状(L字状)になっているのも特徴。


同じ建物内に「オシラ堂」というものがある。

オシラとはオシラサマという2体1対の神のこと。

桑の木で作られた像は、片方は馬、片方が娘で

蚕(製糸)と目の神として祭られる。

これにまつわる話は遠野にも残されているが、

同様のものが青森や北海道にもあるという。

堂内は薄暗い雰囲気で、

オシラサマが四方の壁全体に置かれている。

神に着ける衣装として中心に穴をあけた布を用意するが、

その布には誰かしらの願い事が書かれている。


遠野は、他の地域と違って

何かを見る、何かを楽しむと言う場所ではないと思う。

確かに見るものは有るけれども、

重要なのは何を感じ取るかであると考える。

1つのものから全体を、全体から1つを想像する、

そんな感覚が必要だと思う。

この場所を後にするときに私が思った事だけど。


帰路の途中、隣接する宮森村に有る

JR釜石線(旧岩手軽便鉄道)のメガネ橋を見に行く。

ちょうどあの3冊の本の時代に活躍した

そんな時代の置き土産である。

僅か3日程の旅では有るけれど、

その時間は思いのほか長く感じていた。

でもそれはほんの転寝にしか過ぎないけれど。

文・写真 : 山本賢史

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