奥志賀スーパー林道を行く

 「スーパー林道」と名の付く林道があります。
 林業を目的とした一般の林道とは違い、当初から観光を主目的としたものです。

 一時全国に作られたスーパー林道はその整備を終わり、今は「広域基幹林道」の整備が中心になっています。
 そしてスーパー林道は、その観光志向をより強めるために、徐々に舗装化の道をたどっているのです。

 奥志賀スーパー林道は、志賀高原、野沢温泉という2大スキー場をつなぐのですが、2スキー場間は冬季は深い雪に埋もれるため通行できません。そればかりか、冬はゲレンデになる部分もあります。
 そんな著名なスキー場へ向かうのにも、近頃は気楽に行けるようになりました。自家用車で訪れる客が増え、誰でも走れるように整備は進んでいきました。

 そんな中でかつては有料の林道であった奥志賀スーパー林道も、スキー場アクセスの区間から舗装化、無料化が始まり、今は全線が無料の舗装道路になってしまいました。



 志賀高原蓮池で国道292号線と分かれて始まる。
 有料道路時代のA区間で、昔は一ノ瀬地区のスキー場へは通行料金を払って走行していた。

 その規模のわりに駐車場のキャパシティの小さい志賀高原ではあるが、泊まりでのスキーがあたりまえだったリゾート時代は、乗り合いバスなどで訪れるのが普通であった。
 高速道路の整備が進み、パーソナル化が進んだ今、多くの自家用車がここまで来る。無料化はスキー場側の希望であろうが、舗装化は自家用車の増えたことによるものだろう。車の量が増えれば、走ることで路面の削られるダートでは整備が大変になる。舗装してしまえばそれは少なくて済む。スパイクタイヤの禁止とスタッドレスタイヤの進化で路面への攻撃性は減り、舗装しておけば数年は手を付けずにおけることがメリットになっている。



 旧A区間に展開するスキー場は高天原、東館山、西館山、発甫、一ノ瀬、焼額山、そして奥志賀高原。60近いリフトを懸ける志賀高原の広いスキーエリアでも中心的存在のスキー場が広がる。それぞれ別個の業者・団体による営業ではあるが、協会がしっかりしているためこうした道路整備などへの発言力もあったのだろうか。
 長野オリンピックでさらに岩菅山を開発したい、とした業者があったのだが、それは環境問題で却下された。当時のゴタゴタは今も記憶にあるが、その際に却下された開発が今後容認されることはまず無いと考えられる。今後奥志賀よりさらに奥にスキー場が展開することはないだろう。

 A区間はこういう事情から冬でも走行できた。奥志賀高原までの区間は昔も今も深い雪を除雪して通行を確保している。



 奥志賀高原を過ぎると、そこからB区間となる。今の呼び名は「県道奥志賀公園栄線」で、栄とは野沢温泉近隣の栄村(野沢温泉自体は野沢温泉村としてある)を指す。




 B区間が舗装されたのはなぜか?
 冬に使えないこの道路、また志賀・野沢間の移動が重要とは言えない地域性から、ここを舗装化する必要性はなかったはずだ。観光目的ならダートでも十分だっただろう。ここにもやはり整備の都合があったのだろう。

 そのB区間からは、秋山郷へ繋がる雑魚川林道(林道秋山線)が分岐している。
 手堀りの温泉が楽しめる切明温泉などへのルート・雑魚川林道も、以前のやや荒れたダートから今は完全舗装になり、それこそ誰でも訪れることが出来るようになった。秘境は秘境でなくなった。



 奥志賀林道でもっとも林道らしかったこのB区間、しかし今、ダート林道の面影を見つけるのが困難になっている。
 もとよりスーパー林道というのは一般の林道に比べて広く緩やかで、舗装されたことによりただの緩やかな山道になった。



 こうした高山の草花が林道らしさを残すものかもしれない。



 林道だけに、動物の飛び出しはあっても不思議ではない。
 しかし牛はないでしょうよ、牛は・・・



 カヤノ平でB区間とC区間に分かれていたはずだが、今はその区別ができなかった。

 野沢温泉上の平に到着した。ここはゲレンデのまっただ中で、ゴンドラは通る、ゲレンデ案内看板はある、そしてゲレンデ食堂は夏の観光営業をしている。
 スキーならあっというまに降りてしまうゲレンデも、道路はその傾斜ではとても走れないために緩やかに迂回する。そんな迂回路も初心者向けの林間コースにしてしまうのがここ野沢温泉。



 視界が開けて野沢温泉スキー場のゲレンデが眼前に。広いこのスキー場、これは極々一握りのエリアである。この広大なエリアをひとつの営業母体で経営しているのだから恐れ入る。
 温泉とスキー、それが人気の野沢温泉はやはり冬の観光地で、夏はゆったりと歩くことも出来る。林道を少し外れて温泉に入るのも良かろう。



 C区間が終わり、末端のD区間へ。
 以前から何かここまでの区間とは異なり、寂れた林道という感じの道であった。



 奥志賀林道は70kmにも及ぶ。そのほとんどがダートだった時代にはオフロードバイクをここへ持ち込むことはなかった。要因は距離的なものだった。
 機動力の上がった今、ここまで来ることは出来る様になったが、ダートはそれまで待ってくれなかった。

 「スーパー林道」と呼ばれる林道の多くがこのように舗装化されていく様になってきた。天竜や李平、朝日などがその例にある。手つかずだった剣山にも舗装区間が現れた。すでに完全舗装された奥志賀、上高地は有料道路であったが故にその舗装化も早かったわけだ。



 ひっそりと林道は終点を迎えた。このD区間、ダートなら好き者が走ったが舗装となってはその魅力も無い。果たして、これでよかったのかい?

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