第20回 国道292号線

 目覚めは早かった。
 目覚めが遅かったのはF650の方で、ガソリン大量に吐き出す始末。旅先でかぶって始動不能なんざ洒落にならん。バッテリーが新しくて助かった。

 空には雲一つ無い、いわゆる快晴。
 こんな日は空に近づけるところがいい。

 今現在、バイク(や、車)で辿れる一番高いところは、乗鞍・畳平。
 乗鞍スカイラインでアクセスする日本一高い道。その乗鞍は今年、有料道路としての歴史を閉じる。

 有料道路としての最高所があるならば、国道としての最高所もある。
 近年まで「一般」国道の最高地点を誇ってきた国道291号線・麦草峠から、最高地点の座を奪い取ったのは、国道292号線・渋峠。有料道路であった志賀草津道路が無料化された数年前、「一般」国道として再出発を切ったことによる。
 それまでも実は国道であった(雁坂トンネルが国道140号線であるのと同様)が、正真正銘の国道ということになった。
 こうして有料道路が無料化されると一般道になるものだ。
 乗鞍スカイラインが無料化されることで、渋峠は最高所を譲る・・・ことはない。乗鞍が無料化以降、一般自動車の立ち入りを制限するからだ。
 乗鞍以降、日本に、渋峠より上を走る有料道路は無い。これからも国道最高所は渋峠が持ち続けることになる。



 渋川伊香保で関越を降りて、国道353号線・145号線で長野原へ。
 長野原から、日本最高所を目指し国道292号線を上る。
 目指すは国道で一番空に近い場所、渋峠。

 旧草津道路も国道292号線だが、ここは旧道をトレースすることに。



 山奥に突然現れたヘリポート。何の目的で?



 冬は雪に閉ざされるこの地域。人々はこの地を離れ、温暖な(あるいはもう少し雪の少ない)地域に移動していたらしい。そんな中にも、ここで冬を越した人々もいる。
 冬住の里はそんな生活の資料館だ・・・が、中には入らず。



 道祖神が多い。道祖神は生活の神。男女の姿が刻まれている。
 ここのは比較的おとなしいですけどね(謎



 野尻湖へ国道406号線を分ける。



 細い峠道は、人通りも少なく。静寂の中、バイクの排気音だけがこだまする。



 渋峠といえば、スキー場。
 スキーと言えば、温泉。
 温泉といえば、草津。



 草津のシンボル・湯畑は、いまも湯ノ花を生産し続ける。
 懇々とわき上がる熱湯は硫黄分を多く含み、飽和して沈殿した硫黄成分は黄白色の結晶となる。それを湯ノ花と呼ぶ。湯ノ花は土産物として販売されている。草津温泉の成分の結晶を自宅の風呂に入浴剤宜しく添加すれば、気分は草津の湯。



 足湯・手湯。
 入浴は禁止、とある。誰がこんな繁華街のど真ん中で入浴するか、と思うけど、結構いるらしい。



 「草津良いとこ一度はおいで〜」のフレーズは聴いたことがあるだろう。
 草津の湯は熱い。熱いからと言って水で薄めたのでは効果は半減。冷めるまで待つ・・・それもそうだが、同時に草津の湯は成分が濃すぎ、刺激が強い。
 湯を空気に触れさせることで温度を下げ、刺激を少なくする。「湯もみ」にはそんな効果がある。今では湯もみは通常行われているものではない様だが、観光目玉の一つとして湯もみをショーとして行ったり、こうして体験出来る施設もある。



 湯畑の脇には無料の立ち寄り湯が。
 深夜は入浴できないのだが、一応鍵は開いている。



 水を見るとお金を投げたくなるのだろうか。
 これほど酸性が強い湯には銅系の硬貨は徐々に侵されて行く。



 湯畑の近くで蕎麦など食えば、舞茸天麩羅たっぷりの天ざる。
 味は・・・信州蕎麦は信州で食うに限る。

 温泉には温泉饅頭の方がよく似合う・・・だろう。



 草津天狗のスキー場では、MTBによるダウンヒルレースが行われていた。
 冬のスキーより速いスピードで駆け下りる。



 ここから、以前は「志賀草津道路」であった区間となる。
 草津天狗山から白根山、横手山を越えて上林温泉まで。冬は雪に覆われる一帯は、4月後半から11月前半までが通行できる期間となる。志賀高原のスキー場群を結ぶ上林から陽坂の区間は冬でも走れる。スキー場があっても渋峠には、冬場に車で入ることは出来ない。



 新緑のワインディングロードを駆け上がる。白根ロープウエーを過ぎると、火山地帯に入る。硫黄の臭いの立ちこめる地獄絵図(立ち止まること禁止という)の中を、ひとつひとつコーナーを駆け抜けていく。

 一番高い場所・渋峠へ。



 前方の視界が開けた。

 このコーナーは、空へと続いている・・・

 そして、峠へ。



 国道における日本最高所は渋峠より1Kmほど群馬県側にある。
 標柱の文字はすでに読めなくなっている。


 そう、ここが目指してきた場所だ。


 上がったら、下るのみ・・・



 「峠には風があった」

 ・・・言い得て妙なり。



 時は五月末。渋峠スキー場はまだ雪を蓄えていた。
 雪の多かった2002シーズン、しかし温暖化するのも早く、雪持ちは平年より悪いようだ。



 峠より高いところがある。スキー場の最高地点になる横手山山頂まではバイクであがれない。
 ドライブインにバイクを停め、スカイレータの人となる。スカイレータ・・・要はエスカレータ、いやベルトコンベアか。



 冬はスキーで乗るリフトに乗り継いで、横手山頂へ。山頂から見える山々は、いつもの白一色とは違う景色が広がる。白い山の圧倒的存在感も良いが、薄緑の山もまた一興。

 上がったら、下りるのみ・・・



  陽坂、ほたる温泉(名前が熊ノ湯ではだめなのか?)と長野県側のルートを下る。ここからは冬でも走れる区間だ。もちろん、4輪車なら、の話だ。どんな猛者であろうと、休日には2輪は通してもらえない、と思われる。安全に円滑に交通を確保するため、地元の監視が付く。雪の降る日には、4WDに4輪スタッドレスで無い限りはチェーンの装着を強制される。それは走る側から見ても当然のことなのだけども。



 木戸池には私のスキーのルーツがある。
 高校時代、スキー修学旅行の奔りだった我が校は、県内初のスキー修学旅行を行った。今では多くの学校がスキーを修学旅行に取り入れいるが、当時はそういった前例も少なく、受け入れ側の環境も整っていなかったのが実情だった。
 スキーで、しかも他とつながらない木戸池ならば管理は簡単、そんな考えだったのかもしれない。温暖な地域からの旅行者にとっては初めてのスキーは感動など何もなく、半数以上の生徒が体調を崩し倒れたことなどを踏まえ、翌年の第二回を持って我が母校のスキー修学旅行は終わった。

 二度とスキーなどするものか。

 そう思ったほど苦痛だった修学旅行。
 あれから20年も経つ今、しかしスキーは私の生活に根付いている。

 そのきっかけは、雪の峠を走りたかったから。
 そして今もスキーでコブを駆け下り、オフロードバイクでギャップを走る。



 蓮池から、奥志賀スーパー林道を分ける。
 スキー場のメインである一の瀬、焼額地区を抱える以上、舗装化は早かった。そのまま舗装は伸び、野沢温泉を超えて終点まで完全に舗装されたのは数年前だ。
 舗装化される前の林道は乗用車で走れるほどの整備されたダートだった。ダートであることがこの道の観光道路としての魅力だったのだが。



 丸池のコブも夏はただの崖。法坂をすぎればスキー場群は終わり。



 快適なワインディングロードはまだまだ続く。長野県側は視界が開けないが、緑を近くに感じて走ることが出来る。



 高機能舗装は排水性を高めて凍結を防ぐものだ。
 ループ橋など路面の下を風が通る道は、それだけ凍結の確率が高い。
 圧雪はヘタなウエット路面より遙かにグリップが良く滑りにくいが、凍結すると傾斜した道は途端に通行の妨げになる。凍結しなければ、安全性はかなり高くなる。

 路面に黒い点が見える。
 これはアスファルトにゴム状の素材が埋めてあるものだ。これによって水を溜まらなくするのが目的だ。



 昔はただの山道だった。
 こんな光景はありえなかった。

 まあ、道は良いに限るけどね。



 山之内の料金所跡はもともと広いスペースがあった。今もここは冬場のチェーン装着に使われている。
 志賀高原の渋滞は、昼間に到着する経験少ない人たちがこういった箇所でチェーン付けを行うために発生するものだ。経験と装備が充実していれば、渋滞を起こすほどゆっくり走る必要もないのだから。

 渋・湯田中の温泉街を通っていた旧国道に対し、オリンピック道路は快適な広い道だ。



 いつも気になる傾斜した田圃。いや、畑なのかもしれないが。
 田圃だったとしたら水利はどうしているんでしょうね。



 中野の市街に出た。
 ここまでと思っていた292号線、実はもう少し先があった。
 飯山方面へ向けて道路は続いているのだった。
 街を抜けると、これまでの山岳ルートとは違う、田舎道が続く。



 飯山の手前、千曲川を渡ったところで国道117号線に合流して終わる。
 豊田飯山から雨の跡が残る上信越道に乗れば、家まではあと4時間だ・・・

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