関西林道キャンプ会

〜またの名をワニーのお誕生会〜

 キャンプ、ってやつを最初にしたのはいつのことだったか。

 自転車小僧ではなかった自分にとって、旅に出るようになったのはオートバイに乗り始めた大学生時代。オートバイといっても最初はやはり50ccの原付であるわけで、速度が遅いわけだから一日に行動できる距離は短い。必然的に遠くへ行くには泊まらなければならないが、もちろん旅館やホテルに泊まるようなお金があるはずもない。金がなければ野に泊まればよかろう、と、仲間とキャンプしながらツーリングをしたものだ。

 今、「アウトドア」という言葉でキャンプが流行している。
 8ナンバーのRV車で、明るいうちにキャンプ場へ着いて2バーナーで豪勢な料理。タープを張ったり大型のテントを立てたり。テーブルや椅子はもちろんのこと。家にいる様なものだ・・・いや、家以上かも知れない。

 実はここにものすごく違和感を感じている。

 俺たちがキャンプをしていたのは、帰れないからであり、泊まる金がないからだ。2980円のテントに1480円のシュラフ、198円の固形燃料で袋ラーメンを茹でていたあのころには考えられない豪華なキャンプ風景が見られる。
 まあ大きなことは言えないけどな。俺だってスキーではRV車で車中泊したことが何度もあるんだし、仕事をするようになって金銭余裕が出来てからはPeak1ストーブなんかを持ち歩いているのだから。

 バイクが大きくなって高速道路を通れるようになると、行動範囲は飛躍的に広くなった。今では1日800km程度はごくあたりまえのものになっている。年とともに時間の余裕の無くなる今、暗くなるまで走って距離を稼ぎたい。そしてゆっくり寝たい。

 そんなこんなで、時間の余裕が必要なキャンプは避けるようになってきた。
 バイクにテントを積んで走るなど、ここ数年はなくなってしまった。


 「ワニー」こと鰐淵さんの主催するキャンプ会が、飯高町で開かれる。

 飯高は三重県。私の住む県である。
 やはり行かないわけにはいかないだろう。
 久しぶりのキャンプをしてみるか・・・

 4月以降、とてつもなく忙しくなった日常。毎日午前3時が続きそれは土日も同じ。ゴールデンウィークも2日だけしかなくなり、何も出来ないままにキャンプ会は翌日。
 何も要らない。テントとシュラフ、少しの調理機器があれば・・・

 結局、仕事になってしまった土曜日。定時で切り上げても家に帰ったときはすでに午後6時。今から準備なんて・・・荷物を縛るヒマももったいない、なに、飯高など1時間半もあれば行けるさ(帰れるさ・・・)。

 そうだよ。帰ってくれば良いんだよ。



 高速をF650で一気に移動し、途中で食材など手に入れてたどり着いたキャンプ場にはおなじみの顔がいくつもあった。
 関西・中部だけではなく、関東や四国・中国・九州まで・・・今週はごく普通の週末なのだよ。

 このキャンプ会、何があるわけでもない。
 この男に会いに来ただけ・・・



 鰐淵さん(以後ワニーと呼ぼう)の挨拶で開会が宣言された・・・何があるわけでもないけどもね・・・

 くしくもこの日は、ワニーの誕生日。気の利いた仲間がケーキなど取り出して、さしずめお誕生会に。



 何も予定されていないのだから、とにかく飲んで喰って、語るだけだ。
 酒の種類は何でもあるぞ。食い物だって何でもあるぞ。歩き回れば何かが喰えるぞ・・・



 そろそろ深夜になろうとした頃、関東から到着の面々。
 ちなみに今回、賀曽利さんは私より早く到着していた・・・もんがあさんはダンナを残して先にたどり着いていた。ダンナとS間氏は秩父の林道を走ってから来たとか・・・全然方向逆ぢゃん・・・
 しかも彼ら(ダンナとS間氏)は明日仕事と言うことで、深夜にそのまま帰ってしまった様だ。

 それほどまでにしてここまでくる原動力とは何だ?



 「熊」こと森野熊・・・本名・熊本さんが亡くなったのは昨年秋のこと。
 ちょうど秋の林道祭りが開催された頃だ。

 毎年秋の林道祭りは、木賊温泉から始まった。
 その後あちこちに場所を移したが、林道祭りがオフィシャルでなくなってからは、木賊温泉に有志が集まってキャンプ会を続けていたものだ。夏休みでもなければ2日以上の時間は作れない私がそこに参加することはなかった。

 その木賊キャンプ会を仕切ったのが熊さんだ。

 その風貌に似合わぬ気さくな人柄で誰からも愛された熊さんは今も皆とともにいる・・・のかも知れない。



 昨年からワニーさんの始めたこのキャンプ会。今回は仲間がサポートしていた。

 このキャンプ会はただのキャンプ会であって、何のイベントでもない。
 有名人を呼んで講演会をやるわけでもなく・・・

 バイクでの旅を生業とし、書いてお金を稼いでいる賀曽利隆さんが来ている。
 しかしそれは一参加者として、参加費を払って来ているのだ。
 元編集部のでかびんも来ているが、それもまた同じこと。


 夜が深くなっていく。

 まだまだ会が収まることはなさそうだ。
 このまま深夜まで語り合って、少しづつ眠りにつき始めるのがいつものことだ。

 そろそろ家に帰ろうか・・・

 テントを持ってくれば良かった、とは、なぜか、思わなかった。

 近いからこそ、無理に予定を開けずに夜だけ参加していた人たちが帰り始めた。のたりさん、カミノシルバーさん・・・
 私も、明日が仕事の原田さんとともに、キャンプ場を後にした。

翌朝へ

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