廃村・茨川

〜林業開発の奥に消えた村〜

 日本は水の国であり木の国である。

 木は燃料として、また家などの素材として古くから自然の育みにあやかり、また人工によって育てられてきた。
 水は人間にとって大切なものであるとともに、その力を利用して電源揮発なども行われてきた。

 林業のために林道が造られ、水力を利用するためにダムが造られる。



 国道421号線を滋賀県側から愛知川に沿って遡ると、茨川林道への分岐にたどり着く。
 災害や工事で通れないことが多い林道で、こうして「通行止め」の看板がない時は数えるほどしかないように記憶される。



 比較的長い林道は、フラットで走りやすい。それだけに普通の乗用車も多く、さらにこのあたりでは貴重なダートでもあるため4WD車がそれなりの速度で走っていることも多い。



 終点では川渡りがある・・・はずだったが、そこには立派なコンクリート橋がつけられていた。



 以前はここまでだった林道は、奥へ向かって開発が始まっていた。
 最近の開設になる林道の例に漏れず、やや急な斜度でコンクリートの護岸をともなったダートは数百メートル先で途絶えた。
 まだこの山では林業が行われようとしている。近年この林道近隣では木を積んだ車を見かけなくなっていたのだが。

 昔はこの地で、林業が行われていた。
 そしてここには、林業に従事する人々が暮らしていた。
 人々は徒歩で治田峠を越え、林産物を運んでいた。必然的に小さなものばかりで、材木などを運ぶことはなかっただろう。

 そんな茨川に、林道が造られた。
 それは大型トラックが通れる広い道で、茨川の林業は大きな変革を遂げることになった。
 これまで炭を焼いたりして生計を立てていたものが、大手の開発が入って生活が変わった。
 急速な開発は、山の寿命を縮めた。開発も急速だった代わりに、衰退も速かった。

 そして、林業の衰退によって、生活ができなくなった人々はこの地を離れた・・・



 人の住まなくなった村は、次々に朽ちていく。
 今も残る建物は、高校や大学の山岳部が譲り受けて使っているものだ。



 もともと多くの住民がいたわけではない。人々はこのわずかな土地に肩を寄せ合って暮らしていた。
 集会場か学校か、広場も姿を確認できた。



 水場の跡や朽ちた鍋釜に、昔日の生活が残る。



 解体された家屋はやがて自然に帰って行く。
 石積みされた基盤がその跡を示す。



 林道開発の際に、削った土砂を川に捨てた、などと言われている。
 川は一様に浅くなり、魚の姿もめっきり減った。

 それでも素人目にもフィッシングポイントと思われる箇所には、魚影も伺うことが出来る。しかしそれは小さな魚で、大物釣りには向かない、と聞いた。
 昔日は新鮮な海の魚が手に入らなかったため、こうした川魚も生活の糧であった。今は釣り人が入ることがあるのみ。



 この川に、ダムが出来る。

 すでに人の住まない集落を残すのみになったこの川では、比較的容易に開発できるように思える。
 それでも反対の看板が立つのは、過去の開発が繁栄ではなく滅亡を生んだことの教訓からか。

 こうして林道の入り口付近でダム建設の地盤調査が行われているなか、林道の奥では林道が新たに深く進められている。支線にも重機がおいてあったので、ここでもまだ林業は細々と続けられていくのだろう。

 茨川は、果たして水底に沈むのか。
 あるいはこれからも時代の姿を我々に見せ続けていくのだろうか・・・

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