第17回 国道361号線

 天高く馬肥ゆる秋・・・

 秋はやはり紅葉を愛でるのが定番であり、それが風流を大切にする日本人の心。
 秋の色を感じるのにいいところ・・・寒暖の差が大きく広葉樹の多い地域。中部山系では飛騨から木曽にかけての山々か。

 そんな山々を巡る国道が、361号線。



 飛騨高山は、高山祭りの翌週にもかかわらず、からくり屋台の特別運行でにぎわっていた。
 高速道路が清見まで届いたことで、高山は完全な日帰りバスツアーのルートになった。



 せっかくだから古い町並みを歩く。遠くに見えるアンテナがいやにシュール。
 造り酒屋の杉玉、朴葉みそ、さるぼぼ・・・飛騨高山の名物は多い。



 国道361号線は事実上ここから始まる。
 街を出て数分で、すでに道は山奥の様相。



 美女高原に美女の姿は???



 俺はこっちの地方に首都はいらないんだけどなあ・・・



 ここへ来た目的は、紅葉。
 やや天気がはっきりしないため色が今ひとつだが、山へ入るにつれ赤や黄色の割合が増えていく。



 信州と飛騨を分ける峠としては野麦峠が名高い。
 左へ向かうと野麦峠、国道は右へ。



 岐阜と長野、飛騨と木曽を分ける峠についた。文化が、変わる。



 狂牛病騒動は牛の産地に大きな打撃を与えた。ここ飛騨は飛騨牛の産地として名高い。早々と安全宣言を出したが、それでも消費者の動きは鈍い。

 飛騨には牛。

 そして、木曽には、馬。



 木曽馬は農耕に向く、小柄で力の強い馬だ。
 決して大きくないBMW F650との比較でもわかるだろう。競走馬などは自分の背丈より遙かに背が高いが、この木曽馬は小さい代わりに太く力強い足などを持つ。

 しかし、本来の純血はもう絶えてしまったはず。
 体の大きいサラブレッドなどと交配され、「進化」させられた木曽馬は本来の姿とは違ったものになった。

 今、木曽馬を復元しようとする運動が続けられている。
 戻し交配という手法を用いて、徐々に血を濃くしていこうと言うものだ。今ではほとんど純血に近くなっているという。しかしそれはすなわち近親相姦を繰り返すことであり、免疫力の問題などが出やすいのは生体的にどの生物も同じなのだろう。
 こうした活動には、金がかかる。見せ物的ではあるが、キャラバン隊を組んで木曽馬で都会までパレードしたり、いろいろな手段で資金集めも進めている。この峠でも、探検乗馬なども行われている。写真撮影だけで1000円は高いか否か。これが木曽馬の繁殖のために使われるのであれば、私には異存はない。

 天高く馬肥ゆる秋・・・



 木曽に降りて開田高原は新蕎麦の季節を迎えている。
 最近とみに有名になった開田の蕎麦、店には長蛇の行列。その最後尾に並んで順番を待つ。ここまで来て蕎麦を食わずに帰れるか・・・
 そばは腰が強く、出来も良かったか。タレの味がやや好みの方向性とは違うために蕎麦湯があまり楽しめなかったのは残念。



 開田村周辺は著名なスキー場のあつまるところでもある。もうすぐここにも雪が降る。
 雪の降る季節、飛騨と木曽は分断される。

 今でこそ安房峠にトンネルができたおかげで飛騨と木曽の行き来が冬場でも可能になったが、それまではどの道路も冬季通行止めになってしまったものだ。しかし、その中でこの国道361号線は、一応通ることが出来た貴重な連絡路でもあった。
 飛騨も木曽も、交通は便利ではない。特に車文化の現代に於いて、高速道路が通る伊那谷に比べると時間的に遅れを生じやすい。列車の世界では特急列車の本数や「本線」と「特定地方交通線」の差で木曽・飛騨が勝ってはいるものの、今では交通の主役は高速道路だ。

 国道19号線に一度合流し、今度は権兵衛峠を伊那へ向かう。



 権兵衛峠は国道扱いだが、国道19号線側はそこまでのルートが国道ではつながらない。県道を介して国道にアクセスする。
 国道とは名ばかりのまさに酷道、この企画にぴったりの道でもある。



 元来、伊那・信州方面は黄色がちの紅葉になる。飛騨方面が比較的赤いのとは対照的だ。時期によっては、赤く萌える様な飛騨から、峠を越えると勢いのなくなった様な黄色っぽい風景に変わるあたりが秋の寂しさを感じさせる。



 峠を下って伊那の町。国道はまだここから高遠まで続いている。
 残念ながら日没が迫ってきている。残りはまたの機会に紹介するとして、概要など。
 それほど変化のない郊外の国道を行くと、高遠の町に出る。桜で有名な高遠、終点付近には温泉もある。

 飛騨から木曽は冬場の交通手段として必要なルートだが、木曽から伊那は連絡の必要もない忘れられたルート。ここが本格的につながって国道が分断なしに通過できる日は、果たして来るのか・・・

目次

inserted by FC2 system