事務局長の「TBI2」

私は地元である群馬で5年にわたって

CCR、DSイベントを開催してきた。

その中でTBI、すなわちSSERという存在の影響は大きく、

「知らなければ、今の立場には居ない」と断言できる程である。

これは私に限らず、他のCCR、DS系イベントにも言える事。

国内でこれほどこの競技形式が普及するとは誰が思っただろうか。

そしてTBIというステージから旅立った人がどれだけ居るだろうか。

そういう意味でTBIは非常に興味の尽きないものである。

とはいえ私自身は参加する機会は全くと言って良いほど無かった。

だが今回、7月28日から29日にかけて行われた

「ツールドブルーアイランド2(通称TBI2)」に参戦することになった。

7月28日:PART1(総延長504km、夜間のSS2本、CP1箇所)
こちらが参加車両。
TBI2は、「24時間耐久のTBI」と書けば判りやすい。

競技性の高さは勿論、TBIよりも精神力を必須とするだろう。

夜間走行ということは、「夜の圧迫感」に負けない心掛けが要る。

会場入りするまで不安な心境が続いていた。

車検や規約の厳正さは確かだが、今回は少数だからか、

全体として穏やかな雰囲気で、その緊張感を抑えられる。

無事に申請を通過し、ブリーフィングまで待機する。

スタートが12時と言う事で、先に昼食の配布があるのは有難い。

暑い日差しの中、迫り来るスタートに備える。


ブリーフィングの後、12時9分に「久万ふるさと村」を出発。

「PART1」と記された前半520kmを、翌朝6時までに走破する。

18時間と言う時間は遥か遠くのことに様に思えるが、

次々と迫り来るルートに対してその時間は瞬間的に過ぎていく。

ルートが南下しているのを時折感じ取りながら。

午後6時過ぎにCP1に到着、ひとまずここまでは順調。

休憩も僅かに、ひたすら走り通していく。

日が暮れることに不安が出てきているが、とにかく自分を信じる。

そして日が暮れた頃には、「本当のTBI2」が始まることを実感する。

2つあるSSは共に夜間。スタート地点の僅かな灯りが、

闇の中にいることを否応無しに不安を押しつけていく。

私はそれに打ち勝つべく、責める姿勢を取り続ける。


SS1からSS2、そしてビバーク地への道も、闇の中。

時間の経過と共に、比較的固まっていたエントラントの姿も途切れ、

前を灯すライトとルートブックが頼りになる。

しかし夜間走行は、多くの迷いも生じさせ、

どこかの峠を越える辺りでは、山の至るところにライトの光が散らばっていた。

天候は崩れそうで崩れない、微妙な合間というところで、

進むには大きな影響は与えないが、流石に後半は霧に覆われる。

霧の中にある午前1時のSS2は、給油も兼ねている。

SS2は10km近い林道がステージ。

途中でカモシカと2km近く並走するという、ちょっと和やかな場面も。

SS2を越えれば、あとはビバーク地まで。

午前3時30分に無事PART1を走行。

簡単なケータリングサービスを受け、続くPART2に向け、仮眠を取る。

7月29日:PART2(総延長320km、SS1本、CP2箇所)

朝食、ブリーフィングの後、午前7時からPART2の開始。

ビバーク地がそのままSS3の会場で、そこからリエゾンも始まる。

SSではガレ場で立ちゴケするものの、無事完走。

リエゾン前半は、昨日の逆ルートが続く。

夜間と昼間のルートのギャップには驚かされ、

そして夜間走行中に、相当なテンションで走っていた自分に気付く。

無意識に、淡々と走りつづけていた事実が、不気味だった。

CP1を午前10時に通過し、

あと150km先のCP2を通過すれば、完走は確実。

ところがCP1出発直後にリアタイヤがパンクする。

思わぬ事態に焦りの色は隠せないが、慌てたところでどうにもならないので、

ルート付近のGSで修理に取りかかる。

パンク修理自体の経験が無いに等しい私でも、気力で1時間以内に収める。


午後2時30分までに約120km先のCP2に行かなくてはならない。

時間は午前11時、雨が振り始める。

修復後の林道でICOが働かなくなり、フルリセットする。

林道を抜け、昨夜迷いの地点となった峠の県道に向かう。

途中でオフィシャル車を発見。

すると先頭車両から手が出る。先頭にいるのは山田徹さんだ。

山田さんの話ではどうも時間的に辛いらしい。

現在午後1時、まだ100kmもあるが1時間では走破は出来ない。

「高速道路でもないと無理」ということで、

「R439からR33を伝って久万まで行きなさい」と指示を受ける。

結局CP2不通過。1時間のペナルティの変わりにリタイヤは避けられそうみたい。

オフィシャル車をそこで抜いてR381まで出る。

ここからはルートを外れて、ひとりR439を縦断する。

「酷道」と呼ばれるこの道でもオンルートより早いらしい。

徹底したアウトべた走行で、止まらずにとにかく走る。

やがてR33に出た。時間は午後4時。

緊急連絡先に電話すると、「表彰式は午後5時」と連絡受ける。

何とかリタイア扱いを避けるべく、

約30分でふるさと村のゲートに飛び込む。

この時点でもまだ走行中のエントラントが居るらしい。

R439が早いと言う事実も体でもって知り得る。

結局私は、CP2不通過のみ時間加算され、

総合30位、INTクラス2位というのが今回の結果。



5年にわたって、CCRやDSの主催者として運営面から携わり、

決して参加者からのスタートをしなかった私が、

ようやく得ることが出来た舞台。

そこは確かに高度な競技の場では有るけれども、

競技の奥深くには、人と人との幾重の駆け引きや、

主催者の抱く構想、参加者抱くの主催者への期待がある。

CCRやDSという形式を通じた、

人としての存在意義をも提示する場でもあるかもしれない。

今度は私があの場所で学んだたくさんの出来事を

自分の場で生かして行ければ、より楽しく出来ることだろう。
文・写真:山本 賢史

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