古の東海道は、熱田から桑名まで「七里の渡し」で海を渡る。
濃尾平野の西側は湿地帯で、道筋がつけにくかったことからと思われる。
国道1号線は、厳格に東海道を踏襲しているわけではなく、大筋が東海道沿線であるという程度だ。熱田〜桑名間ももちろん陸を走ってのルートが続いている。
名古屋市を抜けて西尾張地区を淡々と走り抜けると、中部の誇る3本の大河、木曽三川が待ち受ける。
ここも橋で一気に渡ってしまうのが現代の交通。
木曽川と揖斐・長良川の間には、輪中と呼ばれるわずかな土地がある。ここ長島町には海抜0m以下の箇所もあり、周囲を高い堤防に囲まれている。
長良川には有名な河口堰(BACKtoOFFroad第一号がここでしたね)がある。ここをすぎれば七里の渡しの西側・桑名にたどり着く。
渡しの史跡は今、高潮対策の工事が行われている。桟橋跡の前に堤防を築こうというものだ。これによって眼前の海は遮られてしまう。
実際、水害に悩まされた地域であるだけに長良川河口堰などと並んでこうした対策を施そうというのは仕方ないことか。ただ、古の記憶が遠くなるのは残念である。
桑名、といえば。
私はここ、桑名に在住している。そしてわずか数百メートルながら、国道一号線を通勤ルートに使っている。
だから、恒例の国道標識は桑名市内のものを使おうと思っていた。そこで探してみたが、なんと桑名市内には1本しかなかったのだ。それが通勤ルート上にあるこの一本だけの国道標識だ。
さて、桑名から工業の町四日市をまたまた淡々と走り抜ける。
日永の追分けで参宮街道を分けると、徐々に町の風景からは離れていく。
東に箱根の山があるならば、西には鈴鹿の山がある。
その急峻な峠は、通行量の関係からかなり快適に走れるワインディングルートだ。
第二名神高速の工事中だ。
ある意味、一番東海道に沿っているのかも知れない。
坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る
鈴鹿馬子歌で歌われる「あいの土山」には道の駅がある。なかなか工夫の凝らされた面白い駅なので一度寄ってみるといい。気さくな駅長さんが迎えてくれます。
鈴鹿峠を越えると、そこは関西の文化になる。とは言ってもまだまだ国道は郊外道路のまま淡々と続く。
栗東で名神高速に接続。東名高速・岡崎と並んで、国道と高速の接続という用途での利用の多いインターチェンジだ。
直接国道1号線とは隣接しないものの、やはり琵琶湖は外せないでしょう。大津の町は琵琶湖航路の拠点で、湖との結びつきは強い。
ウォーターフロント、というと海を望む町を思い浮かべると思うが、これもりっぱなウォーターフロント。整備された湖岸はバスつりに興じる人々。そして沖を行くジェットスキー・・・
この峠を過ぎると、京都に入る。 名神高速、京阪電鉄と併走しながら。
2輪は高架道を通ることが許されていない。
空いている時間帯は憤慨するが、実際にはほとんど渋滞しているので、測道へ降りて信号通った方が速いときが多いのでそれほど影響はない。
五条の橋を渡ると京の都。
いにしえの東海道はここで終わる。しかし、国道1号線はこの先もまだ続いている。
国道9号線の終点がこの交差点だった。直進すれば9号線、左折すれば1号線だ。
京都から大阪方面へはいくつものルートが存在する。電工表示板では、その時々で一番速いルートを選ぶことが出来る。今日は1号線が速い。
いかにも京都、を感じさせますね。
宇治川の広い河川敷には、葦の群生が。降りてみると人の背丈よりも高い葦が密生している。そこには「葉っぱを取らないでください」と名前入りの看板が。ここは個人の土地で栽培しているのか?それだとしたら、相当にすごい・・・
大阪に入った。
阪神高速守口線の高架下に入ると大阪モノレールもすぐに寄り添う。国道は右へ左へルートを変えながら、街の中に取り込まれていく。
市内に入って渋滞も厳しくなってきた。あとは一直線。
淀川を渡る。大阪の川といえば淀川。琵琶湖から京都を越えてやってくる。これは琵琶湖の水だ。
曾根崎で進行方向の標識が国道2号線に変わった。
ここで終わりなのか?
しかしまだここは国道1号線だった。
御堂筋は梅田新道で、国道の接続点になる。長かった国道1号線はここで終わる。
国道1号線と国道2号線が接続する交差点。そんなことは誰も気にかけずに車は走り続ける。
日本橋を出てから3回にわけて走り抜けた国道1号線。
いにしえの東海道の時代から、関東・関西を結ぶメインルートとして君臨してきた。今では高速道路に長距離輸送の役目は移ってはいるものの、それでも天下の大動脈の存在はまだまだ大きい。
ここからこのまま国道2号線へ続けて走るかい?
・・・いや、今日はここまでにしとこう。