海上の森

 2005年に開催されることになった愛知万博。そのメイン会場と目されていた瀬戸市の海上(かいしょ)の森。しかし地域住民などの反対運動が実り、その大部分に手を入れることのない方向に計画が見直された。名古屋の中心街からも1時間とかからず入ることの出来る、自然そのままの森。経済効果という万博の意義などでは、とても償いきれないものがそこにはある。
 万博問題でこれほどの騒ぎになる前から、ここには何度となく足を運んでいた。バードウォッチング?そういうものの方が聞こえはいいだろうが、僕が森に入る理由など林道以外には無いに等しい。国道155号から少し東に入るとすぐ、生活道路としての林道が森へと延びている。途中の海上集落を越え、藤岡町へと抜けていく道。最盛期はメインの林道だけでも10km近く、枝道も走ると20km以上のダートを楽しむことが出来た。学生時代、アパートから20分も走れば入ることの出来る海上の森の林道は、お気に入りのお散歩コースだったのだ。
 しかし万博で騒がれ始めると、そう気軽にバイクで突入出来る場所ではなくなっていった。反対運動の一環として、その貴重さを一般に知らしめるために、海上の森の自然を書籍などで広めるようになった。そうすると、休日などにはハイキングの人たちが列を成し・・・東海自然歩道の一部でもあるのだから当然かもしれないが、とにかく危なくてバイクで行く気にはなれなかったのだ。久々の走行は、平日の朝6時という状況だからこそ。
 森へと続く道、最初の分岐。ここまで川沿いを走ってくるのだが、昔はほぼ全部がダートだった。ここまで舗装されているとは・・・生活道路なのだから、舗装されることに不思議は無いが。分岐の片側は海上大正池の真下まで続く治山用林道だったが、すでにゲートで封鎖されていた。
 路面はフラットそのもの。昔はもっと荒れていて、トレールバイクのサスをしっかり動かすギャップがあったのだが、今ではストマジのようなスクーターでも十分快適な道になっている。舗装を前提の補修の仕方ではないようだが。
 海上集落近くまで来ると、反対派の立て札などがあってものものしい雰囲気になる。それでも、あの頃よりは確実に減った。計画が見直され、森の大部分がこのまま残されることが決まった安堵からか。
 海上集落で、一度完全な舗装路になる。集落といっても、ほとんど民家は無い。昔はもう少しあったような気もするのだが。
 集落の突き当たりに、陶龍寺というお寺がある。いや、あるということさえ実は今回初めて知ったのだが・・・詳しく調べていないのでわからないのだが、武田信玄の古城跡という言い伝えがあるようだ。ハイキングの人たちのために、缶ジュースの販売、コーヒーも飲める・・・らしい。分岐に看板が出ていたし、営業中の札もかかっていた。お寺だから朝は早いのだろうが、さすがにこんな朝っぱらからお邪魔する勇気は無い。またの機会に。
 海上集落を抜けると、またすぐにダートが始まる。この先は藤岡町方面、瀬戸の奥、窯元が多くある辺りへと抜けていくのだが、さっきまでの生活道路という雰囲気はほとんど無い。高いところを走る道では無いので視界が開けることも無いが、ひたすら木々の間を抜けて走る林道は雰囲気も悪くない。
 しかし。あまりにも道が良すぎやしないか。よく整備されているといえばそうなのだが、その整備が誰のために誰がおこなったものかで話は違ってくる。生活道路として保全するためならば、まあ良い・・・だろう。だけど、ハイキング客を狙ってのことならちょっとやりすぎではないか。もしかすると万博の工事関連で、一時的に良くしたというのもあるかもしれないが。
 集落から後は少しずつ上り続ける。しばらく走るとまた分岐。本線は左、右に行けば物見山へと続く歩道の入り口まで行ける・・・はずだった。ここもまた、入ることを許さなくなったのか。鎖や門などがあるわけではなく、単なるトラ柵とロープによる封鎖。急ごしらえの感もある。
 なんとなく理由はわかる。本線は住民や地権者もよく通るだろうが、枝道まではなかなか目が届かない。豊かな自然を知ってもらうためとはいえ、人が多く入ってくるようになって、逆にその自然を壊される心配もある。オオタカの営巣、ギフチョウなど貴重な昆虫、野鳥、動物達の生活圏。それらを守るため、オフロードバイクや4WDなどは出来るだけ入れたくない。封鎖してしまえば人が入る程度のこと。
 ・・・と思ったら、なんと本線の方も通行止めだった。一瞬もう通れなくするのかと思ったが、この止め方はどうも違う。トラ柵をどければ車だって通れる。それに営林署や自治体ではなく、警察が出す「この先行き止まり」、その看板の意味は?
 バイクで入っていくことも出来なくはなかったが、時間を急ぐ旅で無く、向こうに特に用事があるわけでもない。手前にストマジを停めてそこから歩いていくことにした。なんとなくそういうこともありかなと思い、一応山歩きスタイルで来ていたのだ。
 長年来ていながら、実はこの道を歩くのは初めてだった。歩いてみて初めてわかる、様々な野鳥や蛙の声、静かな木々のざわめき。自らバイクの排気音でかき消していた音の世界が自然と耳に飛び込んでくる。音だけでは無い、周りの風景も時速ン十kmで流れるそれではない。ゆっくり歩いているからこそ見える風景がある。
 多くのライダーがそうではないだろうか?普段はバイクでハイスピードで駆け抜けるだけ。なんとなく気に入って何回も訪れるようになったとしても、なかなか歩いて散策するほどの気持ちの余裕がない。何を求めて林道に行くのか?もう少し考えた方がいいのかも。
 バイクで走っているときには気づかなかったが、部分的にセメント舗装したようなあとがあった。この道全部がそうだったとは考えにくいが、水たまりなどを埋めるための手段として使われたことがあったのかもしれない。未舗装路にとって、水の流れは致命的な損傷を与える恐れがある。これだけよく整備された林道でも、部分的にはこうして深い傷が出来てしまっていることも。山を、道を維持していくということは、並大抵の苦労ではない。
 道はひたすらゆっくりと上っていく。ダートを抜けたあたりが一番高いぐらいなので、こちら向きだと下りになることがほとんどない。バイクには快適な道だが、なまった足にはつらい・・・
 かなり進んで、ようやく「行き止まり」の意味を理解した。約10mに渡り、道路が無くなってしまっていたのだ。ちょっとした沢があり、道の下は橋ではなく土管3本で通してあるだけだったようだ。おそらく鉄砲水にでもやられたのだろう。自然をなめてはいけない。
 道は崩落していたが深い谷では無かったので、降りて渡ることも容易だった。MTBを押し上げたらしき痕跡も・・・
 少し進んだところでダートは終わり。ここから先は舗装路のワインディング、藤岡町へと下っていく。昔はもう少し先までダートが続いていたのだが、工事(採石?)の関連で舗装されたらしい。分岐を右に曲がるとまだダートが続いているのだが、たしかゲートが・・・よく覚えていない。
 この先は歩いていったところで何があるわけでもない。ストマジのもとまで引き返すのみ。
 帰り道はずっと下りだったので、あっという間に戻ってくることが出来た。山歩きに慣れた人なら下りはもっとゆっくり歩くのだろうが、素人はつい勢いに任せてペースアップしてしまう。
 分岐の片側、ロープで封鎖された物見山へと続く道は、よく見たら行き止まり看板にマジックで「(行き止まり)ではありません。物見山まで歩いて行けます。」と書き加えられていた。「ものみ山」の名前は、武田信玄が進攻してきた際、武田軍がここに櫓を組み、濃尾平野を見下ろしたことに由来する、といわれる。今もその時の石垣が残っているらしいが、話によるとその場所に展望台を作ったそうなのだ。それほど高い山ではないが、それなりの眺望は期待できるだろう。
 やはり枝道のゲート封鎖は、車・バイクはダメ、歩行者ならいいということ。鎖が張られたところでも、「この先OO」などの案内がある。自然を守るために、適度に人に見せて行かねばならないということか。
 しかし、歩いている道すがら、空き缶やゴミなどが落ちているのを多く見つけた。固まって落ちていた場所は広場になっているところだったので、もしかすると車やバイクの人が捨てたということもあるかもしれない。しかし、駐車スペースなどないあたり、道の脇にわざわざつぶして捨ててあったビールの缶。これは誰が捨てたもの?
 車やバイクは自然を壊すだけ、林道は遊ぶための道ではない、歩いて楽しむにとどめるべきだと言う人もいる。しかし、ハイキング専用の道でない限り、歩行者だけは通っていいという理屈もおかしい。増して、ゴミのポイ捨てなど言語道断。あの尾瀬などもガムやキャンディの包み紙のポイ捨てに悩まされていると聞くし・・・歩行者だけはクリーンだなどという考えは、明らかに間違っている。
 ポイ捨てなどはまずしないだろうが、バイク乗りとてあらためねばならないところ多々ある。自分は?生活道路である林道にトレール車で入り、轍をハイブロックタイヤでさらに掘り下げ・・・ただ楽しく走ることしか考えていなかった自分にも戒めを。
 大正池のように人が作った部分もあるが、ほとんどが手付かずの自然のままの海上の森。一応は都会である名古屋から少し離れただけのところにある、自然の森。地権者でなくとも、末長く守って行かねばならないものと思う。

 

文・写真 / 河村 敬

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