第5回 遙かなる旅路・国道9号線

 1桁の国道番号が与えられた幹線国道は、多くの都市を結んで延々と続いている。それらは古の「街道」を多くの割合でトレースしているものだ。
 山陰地方各都市を結ぶ国道9号線は、そういった旧街道、「山陰道」になる。

 「東海道」や「山陽道」は、それぞれに国道とともに高速道路も発達していて、幹線国道でありながら長距離移動のルートとしては主な役目からはずれているものだが、高速道路が未発達の「山陰道」では、国道9号線が今でも長距離移動の唯一のルートだ。
 総距離では500kmを越える。本州の西端、下関から京都までほぼ海沿いをトレースして結んでいる。

 下関を発つ・・・が、これがまた起点がわかりにくい。0kmポストが見つからなかった。地図によると下関駅の交差点から始まっている様だ。
 ちょっと脱線すると、ここ下関は鉄道でももちろん要衝であって、ここから関門トンネルをくぐって九州へ入る。本州は直流1500V、九州は交流25000Vの動力が使われているので、ここで機関車の交換が行われている。

 人の動きは何も列車だけではなく、海峡があるからには船もある。壇ノ浦といえば源平の合戦。
 今でも頻繁に船が行き交うということはそれなりに利用者があると言うことだ。これには地形の事情もあるだろう。道路の海底トンネルでも同様なのだが、そこそこ距離を必要とする海底トンネルの場合は陸地でもかなり奥の方に上陸することになる。元が海峡を中心に栄えた地域でもあるから、町の中心は海に近い。人の流動もそこに固まる。

 そんな歴史ある町を表すような建物が残されている。これは対岸の門司でも同様。

 さて、それでは長大国道・9号線の始まりだ。

 海峡を橋で越えてしまおうという考えは今では当たり前になっている。高速道路に海峡橋が登場したのは古く20年以上も前のことだ。その始まりがここ関門海峡。

 長府を過ぎると突然国道9号線がなくなる・・・
 長府から小郡までの間、国道2号線に吸収されてしまうのだ。よくある重複区間なのだが、その距離は長くまたそれが2号線と9号線という1桁台の幹線国道同士であることは特徴的だ。

 小郡から再び国道9号線の旅が始まる。
 ここまで瀬戸内を走ってきたルートは、ここから山越えで日本海へ抜ける。

 山口県の県都・山口市は内陸にある。交通便利な瀬戸内、日本海に面していないので、鉄道なども幹線は通っていない。
 旧山口藩の旧跡を残した山口県庁、近くには歴史ある湯田温泉。奥座敷と言った感のある町を通る唯一の幹線、それが国道9号線。

 山口で林檎が採れるという認識がなかった。林檎は寒冷地でなければ、ということ、山口が西の方であること。
 ところが、ここ山口にはスキー場もある。即ち気候としては林檎栽培の条件はクリア出来ているということだ。

 蒸気機関車を走らせることで有名な山口線には、未だ気動車の特急が主力だ。キハ181系高出力ディーゼル特急が国鉄時代から変わらぬ姿で走っている。
 旅の手段として、列車の持つものは高速移動の他に「旅情」という名の大きなものがある。それは近代的な高速列車や通勤車両には見つけにくく、こうした旧態依然とした車両や鄙びた路線に感じることが多い。

 ちょうどバイクにも近代的な車両とトラディショナル(マニアックなものではない)な車両があるように。
 そして「道」にも近代的なものと前近代的なものがあるように。


 津和野は小京都と呼ばれるいくつかの都市の一つ。国道9号線から少し降りたところにある。
 おりしもゴールデンウィーク、町は観光客でにぎわっていた。賑わいは逆にこの町の雰囲気を消す・・・

 日本海へ出た。

 日本海の荒波を・・・というほどすぐには海岸線を走るわけではない。日本海側には多くの鄙びた温泉町が続いている。
 島根県に入って最初に目に付いたのが温泉津温泉だった。

 「温泉津」・・・「ゆのつ」と読む。いかにも温泉、という名前。「温泉」は読んで自の如し、「津」は港を示す。つまり温泉の湧く港。
 いくつかの共同浴場がある。藤の湯を利用した。ここはバイク用に、隣の建物の1階を駐輪場として解放している。4輪車は駐車場が遠いが、2輪は有利だ。

 なんでも8月に、ここで「モーニング娘。」がコンサートをやるらしい。なんでまたこんな辺鄙な・・・という気がしないでもないが、番台のおばちゃんは、
「私らは若い娘はよくわからんけどねえ。でも楽しくやってほしいねえ」
と。地方自治体が呼んだ、ということらしい。これも地域振興策か。

 山陰を縦走する高速道路がまだ発達していないので、長距離移動には一度中国道へ出ることが必要だ。そんな連絡道はいくつかあるが、そのひとつが「浜田道」だ。
 浜田から三次までを結び、中国道へ直結する。そのまま広島へ抜けることも可能で、陰陽連絡ルートとしても米子ルートとならぶメジャーなもの。

 渋滞が激しくなった。
 単に街中であるため、と思っていたらどうもそうではない。新しい水族館が出来ていたのだ。ゴールデンウィーク終盤の近場観光スポットとして賑わっていた。

 そこからは嘘のように道も空いた。
 都市と都市を結ぶ幹線国道にしても、その都市間に強い結びつきがないと流動しない。ここ山陰は山越えで山陽との結びつきを重視しているためか、山陰都市間の流動はさほどある方ではない様だ。

 出雲大社・・・先月は多度大社をかすめたが・・・は出雲の國を語る上でははずせない。
 しかし、これは国道9号線から別の国道で結ばれている。県道でつないで訪れてもいいが、今回はパス。

 宍道湖のほとりに「玉造温泉」がある。勾玉のふるさと。美人の湯としても名高い。
 宍道湖畔に、大きな勾玉のオブジェがある。夕日を受けて輝いて・・・欲しかったが???


 国道9号線はいかにも長い。とても1日で走りきれるものではなく、約半分を走ったのみで日没を迎えた。
 BMW F650はこの1日の走行で、まだ1度の給油もしていなかった。それだけペースが稼げなかったということになる。

 本日の宿を松江温泉に決めた。

 松江温泉は、ビジネスホテルでさえも温泉を引いている宿が多い。安価で止まれるこうしたホテルは利用価値が高い。

 松江温泉は宍道湖に面している。朝日を受けて輝く湖面。
 やはりバイクの旅には好天がうれしい。

 松江城も早朝とあっては人影もなく閑散としている。
 朝の城、というのはどこへ行ってもいいものだ。夏の蝉時雨、冬の凛とした佇まい、散歩する人々。

 門前町には門前町の、城下町には城下町の色がある。

 松江といえばラフカディオ・ハーン。小泉八雲で有名だ。ここは小泉八雲旧宅で、当時のまま残されている。少し先に、資料館もあるが、どちらも早朝で開館前。
 昔訪れた時の資料でも・・・と思って探してみたが、ちょっと手元に置いていなかったようで残念。

 鳥取県に入って米子は商人町。
 古くから岡山と結ばれ、陰陽連絡の主幹を成してきた。今でもそれはかわりなく、四国まで直通する列車もあるぐらい。
 道路も高速道路が割合早くから建設され、瀬戸大橋を経由して太平洋まで行くことが出来る。

 この地域で一番多いコンビニエンスストアが「ポプラ」だ。
 おにぎりやサンドイッチなどの品揃えは大手を遙かにしのぐ。こうした地方限定のコンビニに入るのも一つの旅の楽しみかもしれない。そこでしか出会えないものがたくさんあることも。

 伯耆大山は山陰一の名山。大山寺までは道路が続いている。
 山陰地方随一のスキー場でもあり、国体が開かれる規模を持っている。
 またの名を「伯耆富士」とよばれ、富士山に似た単独峰が美しい。

 ハワイについた!

 ・・・なんでやねん(笑)

 いや、ここはハワイなのである。「羽合」と書いてハワイと読む。そう、これがハワイビーチなのだ。
 町のどこへ行っても「ハワイ」「HAWAII」の連続。


 鳥取と言えば、砂丘につきるだろう。

 小さな砂漠を思わせる・・・行ったことはないが・・・広大な砂の丘。バイクで乗り入れてみたい。
 歩いてみると、砂が柔らかい。堅くなっているところを選んで歩く。

 人々は靴を脱ぎ、裸足で上っている。かかとのある靴ではとうていあるけないし、靴の中に砂が入って痛い。こんなときにはオフロードブーツのありがたみがよくわかる。普段のツーリングでは歩くのに不便なオフロードブーツは避けたいものだが、これほど歩きやすく・・・周りの人と相対的に、ですけど・・・砂丘に似合う靴もないだろう。

 砂丘を登り切れば、パラセーリングに興じる人、丘の上で本を読む人、昼寝する人。
 しばし海を見つめる。


 いつのことか、サハラ砂漠の緑化計画を進めている、という話があった。20年ぐらい前かな?いや、もっと前か。確か中学校の世界地理で習ったんだと思う。
 それとは逆に、鳥取砂丘のオアシス化による消滅の危機、という記事を見たことがある。上の写真の中に、緑色のモノがいくばくか見られることにお気づきだろうか。

 草木が生えると、土質が徐々に変わり始める。小さなモノから始まって、砂丘の富栄養化につながっていく。そうしてサラサラの「砂」が、徐々に「土」に変わって行く。そうなると、そこは植物の生える丘になる。「砂丘」ではなくなる。
 これをくい止めようとする動きもあるようだ。自然が砂漠を作れば、その逆も

 そして、いつの時も自然に逆らおうとする人間も・・・

 NHKで昔放送されていた「夢千代日記」で有名になった湯村温泉。入っていきたかったが、時間の都合で断念せざるを得なかった。要リベンジ・・・

 こうした「いねむりゾーン」が多く作られている。バイクでは簡単に居眠りというわけにはいかないが。
 長距離のツーリングでは休憩は多めに取るようにしよう。

 ハチ北高原にはまだ雪が残っていた。スキー場が乱立するこの地域。
 冬はカラフルなスキー/ボードを積んだ車で賑わう。関西からのスキー客に人気のエリアだ。

 最後の峠を越える。

 車の流れは順調で、そこそこストレスを感じない速度でコーナーをクリアする。連休でトラックなどが走っていないので快適だ。なかなか追い越しの出来ない箇所だけに、車の流れは大きなファクターだ。

 ここを曲がれば神戸までは一直線。播但連絡道であっという間に関西に。

 京都縦貫道を使えば京都亀岡まではすぐなんだがな〜
 ここからは少し街に近づくので渋滞も覚悟しなければならない。

 桂川を超える。京都らしさがそこかしこに見え隠れする。

 下関から正確に歩みを刻んできたGPSが、あと数百メートルで国道9号線の終わりであることを告げる。

 京都五条にて、国道9号線は終わりを迎えた。
 長い幹線国道を走りきった満足感・・・を感じるには感動のない終点だが。

 「山陰」という、少し置き去りにされた様な土地を走り抜ける国道。いつかは来る近代化(即ち高速道路)までは、重要な連絡路として君臨し続けるだろうか。

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