我々オフロードライダーは、山をフィールドとしている。
「林道」を走ることを目的としているから。
「林道」はしかし、生活道路でもある。作業道路でもある・・・「でも」ではなくて、本来そうなのだが。
山に入る。
自動車で入れるのはせいぜい入り口まで。そこからは歩くか、バイクによることになる。
荷物を持って、またあるときはロープで木々を引っ張って。そんなために力強い動力があれば仕事ははかどる。危険も少なくなる。
ここでは林道は、走るためには作られていない。そこへ入るためだけの最小限のものでしかない。
自然破壊、と世論は言うかも知れない。
今回、木を切ることは、「自然」を維持していくための手段だった。
長らく手を入れることの無かった山は、雑木林になっている。大きいスギやヒノキの間に、小さい雑木がからまるように生えている。
小さい雑木は、実は大きい木より強く、大きい木が維持して行くに必要な養分を採ってしまう。大きい木は徐々に衰えていき、いずれ立ち枯れる。
木が枯れると、根が腐る。それは新しい土になって行き、雨によって流される。
山は水持ちが悪くなり、小さな沢が枯れる。
流れた土、枯れた沢、すべて下流の平地に影響が出る。
我々はそこに住み、生活を営んでいる。それを守るために、「現在のレベルでの自然」を守る。そのために木を切り、新たに木を植える。
手を加えて何が「自然」か。
もっともな意見だ。正論だ。
山で暮らして、それが言えるなら、立派な人だ。
この木もいずれ切らなくてはならないようだ。
どう切るか。チェーンソーはとどくか、年輪の方向はどちらを向いているか。どちら向きに倒すか、どこで小切るか・・・勘と経験、的確な状況判断を必要とする。 斜面に切り倒した木をそのままにしておくわけにはいかない。
木の搬送には、索道を使う。
ここの地形はねじれており、索道をまっすぐに張ることはできない。斜めの梁を入れ、テンションをかけながら、これも勘と経験で索道を作る。
このように、生木に直接ワイヤーを掛けることは本来タブーだ。それだけで木が痛む。
しかし、ツリーストラップを使うと弾力性が出るため、テンションがゆるむ。索道がゆるむと、事故につながる。
伐採作業の多くは、業者を雇っている。一人二人でこなせることではないし、そのための大道具も必要だ。業者を雇う以上、安全作業は絶対条件だ。
遠い昔のこと、やはり雇っていた業者が、チェーンソーの扱いを誤り、足に大けがを負った。それ以来、業者を雇っての作業はやめていた。
木を売って生活する状態ではなかったから、暮らしに必要なことではなかったから・・・日常生活に必要な資材は2人で切れるし運べる。しかし、それ以上の手入れは事実上不可能だ。
今は、生活を守るために、木を切る。必要に駆られて、木を切る。
谷から尾根へ向かって歩く。
木々の状態を確かめ、境界を確かめ。
静寂のなか、なにか一種独特の音波のようなものを感じる。凛とした、張りつめた空気。
そう、森の息吹が聞こえる・・・山は自然の植物の宝庫でもある。
それはしかし、そこでしか生きられないものが多い。同じ条件を作り出せば可能、というものでもないので、そこにあるものはそこで愉しむべきだ、と思う。 道は、足で造る。
歩いていくのに都合の良い斜面、木の間、小さな獣道。歩くことでそこに道ができる。尾根筋にでると、そこには立派な道がついている。いわゆる赤線、という幅90cm以上の道ではなく、軽車とよばれる1.8m以上のものに近い。そうかといってここまで車両があがれるわけではないのだが。
いや、上がれない、とは言わない。
そこそこのウデがあれば、それなりのオフロードバイクならば、たやすくあがってくることはできる。
上がらせるわけにはいかないだけ。
すでに倒木も珍しくない。これは、どう処理しようか・・・小切って下に落とすしかないだろう。
こんなときに活躍するのが、古くなったスキー板だ、というのはちょっとした知恵だ。山全体を一個の個人/団体で所有することはまれだ。いくつかの斜面区画を所有している場合が通常多い。
そこには、「境界線」が必要だ。
山が荒れてくると、境界はあいまいになってくる。手の入った山には、それなりの境界ができあがっている。そしてそこには道筋ができてくる。
この石は、境界の目印を示す。この石を動かすことは、領地侵犯として犯罪行為になる。
「そんなもの(笑)」
屁理屈ではなく、これが現実に認められている。前例などいくらでもある。領地争いは古来から絶えることはない。そこに人がいる限り、そこを利用する限り、境界線の攻防は続く。
しかしいつまでも目印に頼っているわけにはいかない。
ここにももうすぐ国土地理院が入る、と言われている。
その際に困らないように、杭を打つ。あとで困らないように、まだ記憶が定かなうちに。 ここではGパンは作業着に、トレッキングシューズは山歩きのためのものになる。
これらは本来、目的は作業用そして登山用であったわけで、それをバイク用途に転用していただけだ。 そして、数々の「林道」を走り続けてきたストリートマジックは、今も働くバイクとして「林道」を走っている・・・